片上醤油


片上醤油 物語

2002年11月27日 毎日新聞・奈良版より抜粋

片上醤油は、1931年 現在代表の片上 裕之(61)さんの祖父の茂雄さんが創業しました。78年、80歳を超えた茂雄さんは自分の代で廃業することを考えていました。そこに手を上げたのが当時、高校3年生だった裕之さんでした。その後、裕之さんは、大学の農学部醸造学科で学んだ後、茂雄さんの下で修行に入ります。しかし仕事の進め方で茂雄さんとけんかばかり、ついに2年後、茂雄さんに印鑑と通帳を投げつけられ、「勝手にやれ」と言われます。1983年24歳の会社代表が誕生しました。

 廃業するつもりだったため、機会はボロボロ、客の新規開拓はなし、得意先は倒産----。

しかし、まったくの時代遅れの設備が逆に功を奏した。取引先から値段やラベルなどについてのアドバイスをもらいながら、一年で主力商品の一つになっている濃い口の「天然醸造醤油」が完成した。ちょうど、世間が昔ながらのものを見直す風潮になっていた。「祖父がお金をかけなかったおかげで、木のたるがそのまま残っていた。遅れに遅れた周回遅れが、いつのまにか先頭になっていたというやつかな」と裕之さんは、笑う。

 次は薄口、たまり----。

「お客さんに見せられない原料で物を造るのはおかしい」と原料の脱脂大豆を国産大豆に切り替えたり、薄いしょうゆにするために大豆を蒸すでなく煮てみたり、小麦の皮の部分を捨て粉の部分だけを使ったり・・・。時にはしょうゆ造りの常識に反するような工夫をして、商品を一つずつ、3〜4年かけながら仕上げていった。

 「“良いものを安く”って言うけれど、それが消費者の疑心暗鬼につながっている。当たり前の判断をしてほしい。値段は高いけれど、この“安心”いりませんか、って」。 通帳を投げつけた後、茂雄さんは93歳で亡くなるまで、片上さんの仕事について、とうとう口を出すことはなかった。通帳には当面やっていけるだけの運転資金がしっかり入っていた。「今は祖父に感謝しています」。


片上醤油の醸造方針 

 創業以来弊店は、戦中戦後を含め、造りさえすれば売れる時も、激しい販売競争の時も、常々量の拡大よりは品質の維持向上を心がけ、葛城・金剛山麓の山紫水明の地、御所市吐田郷(はんだごう)の里という立地条件を生かし、真に顧客、消費者に愛用して頂ける醤油を供給することを方針として今日にいたりました。

 創業者、片上茂雄は、大量生産・大量販売の時にも、諸味(もろみ)を加温して発酵期間を短くする速醸方式、温度変化の激しい鉄製大容量タンク、衛生面で不安のあるコンクリート製もろみ桶等を拒み、頑なに杉の木桶の中で自然のままに発酵熟成を行う天然醸造の方式を守ってきました。

 手間をいとわぬ蔵人にも恵まれ、仕込み後二夏以上(約1年半)発酵熟成を行うことが長年の伝統となっており、発酵に最高のタイミングである、春先の仕込みであること。 弊社の醸造蔵特有の、いわばフルーティーともいえる香りを有すること。 澄みきった赤い色をしていること。 以上の条件を満たすもろみを搾って得られる生揚げ(きあげ)に一切の手を加えず、火入れ(加熱殺菌)のみを行った真の天然醸造醤油の醸造に努めております。

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